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臓器移植法改正案
2005年 04月 07日 |
<臓器移植法>「脳死は人の死」一律に定義 改正案判明 by Excite エキサイト : 社会ニュース

臓器移植法改正案が出たようだ。
改正点は色々あるのだろうが、大きなところでは
1.脳死を人の死と定義、拒否を認めない(現行:脳死で臓器提供する場合に限って、脳死を死と認める)
2.本人が臓器提供を事前に拒否していない限り、家族の同意をもって提供可能とする
3.本人が、書面で親族への臓器提供希望を意思表示していた場合、それを認める
この3点だろうか。



何れも非常に重大な期待と危険をはらんでいる。

1は後にして。
2については、これによって臓器提供者の増加が見込める。
提供者が現れず、多大な負担を背負って海外に渡り、移植を受けるという人が減ることに繋がるというのが、期待。
逆に危険は、金銭目当てで提供を認める家族、下手すれば本人の拒否を握り潰したり、臓器売買を目当ての殺人、脳死判定などが出る可能性がある。
これらの危険を防止する策が絶対に必要だろう。

ただ一方で、子供からの臓器提供が今まで日本では受けられなかったり(これも12歳以上なら自己決定権を認めて、提供可能としようという動きがある)、日本ではあまりにも提供が少なすぎたりして海外にという動きが現実にある以上、日本でだけは駄目というのも、私は疑問を感じる。
海外なら、提供者が他国の人間なら、いいのか?
あるいは海外に渡る金のある人は移植が受けられ、その金のない人は国内で提供を待ち続けるしか道はないというのも、命を金で買う行為ではないのか。

3について。
期待としては、もう感情的なものが最大だろうが、それだけでも十分と思う。
家族に移植待機者がいて、自分が脳死となった時に、その家族に優先的に臓器をあげたいというのは自然な感情だし、また家族の方が適合する可能性も高い。
更に、家族なら近くに居住している可能性が高いだろうから、時間勝負という面のある移植において、大きなメリットだ。
また提供者(となる可能性のある家族)と移植を受ける人とが、十分に話し合い、納得してから答えを出す(意思表示を書面にする)ことができるのも重要だと思う。
危険については、やはり機会の公平性が損なわれるという可能性だろう。
しかし、これについては私はあまり危惧しない。
何故なら、家族の中に臓器提供が可能となる脳死者が出るかどうかは運次第なのだから。
家族にあげることができるならと臓器提供を考える人が増える可能性もある。
それよりも私が危惧するのは、家族に与えたいがために自殺を図る人が出てくるのではないかということだ。
もし起こってしまったら、これ程悲しいことはないと思うし、提供を受ける人にとってもどれ程の心理的な負担となることか。
これについては、臓器提供目的と思われる自殺者は臓器提供が出来ないなどの防止策が必要だろう。

さて、1に戻る。
これがやはり最も大きな問題を孕むと思う。
まず、脳死を死と認めるかどうかは、非常に重要なポイントだ。
何故なら、認めないまま、心臓など生存に必要不可欠な臓器の提供が可能となると、これは殺人になってしまうからだ。
現行では、脳死で臓器提供する場合に限って、脳死を死と認めるという大技が繰り出されているが、結論はまだ出ないけど、移植はしたいという理由で押し通した結果だろう。
しかし、移植という技術が既に成立し、現実に行われている以上、いずれは必ず脳死を死であると認めざるを得ない流れになるだろう。
仮に認めないとしたら、例えば、日本人が日本では心臓移植が受けられないからといって海外に渡り、海外で脳死者から心臓移植を受けた場合、それは生きた人間から心臓を奪う行為だということになってしまう。
ただ提供者が日本人ではないというだけだ。

しかしながら、これは勿論十分に議論が尽くされ、全国民一致というのは無理だが、大多数が感情的にも受け入れ可能となってからが望ましい。
多くの人がそれは死ではないと思っているのに、法が先行するというのは問題だろう。

が、このニュースを読んで、私が疑問を感じ、書こうと思ったのは、実は上記の点ではない。
これらは私が書かなくても、もっと問題に詳しく、文章も上手で、的確な意見を加えることのできる人が書くだろうから。

私が感じた疑問というのは、では、脳死が死だとなったら、脳死と判定されてからの医療はどうなるのか?ということだ。
誰かが脳死となったが、家族も本人も臓器提供の意志はなく、なおかつ出来うる限りの延命をと望んでいた場合。
もし脳死が死ということになれば、それは死体に医療を施し続けるということになる。
その医療費は、健康保険でカバーされるのか。
そもそも、それは医療行為として認められるのか。
いや、大体、死亡日時の判定、死亡届の提出は?
遺産の処理はいつから?
もし、脳死が死であると言い、拒否を認めないならば、当然、そう判定された瞬間をもって死亡日時とし、速やかに届けを出し、火葬の許可を取り、財産は全て遺産として処理される事になるはずだ。
以後の延命行為は医療としては認められず、下手すれば、死体損壊と言われかねないだろうし、その治療費は保険でカバーされないだろう。

それとも、家族や本人が延命を希望している場合は、脳死は死だが、死体への延命(?)は認めるというのだろうか。
それはご都合主義もいいところすぎるだろう。
あるいは、家族や本人が何と言おうが、脳死は死なんだから、速やかに延命処置を止め、以後死体として処理しろというのだろうか。
まさか臓器提供を希望せず、延命を望む患者には、限りなく脳死が疑われる状況だとしても、規定された脳死の判定はあえてしないことにして、つまり規定を満たしてないから、脳死じゃない、死んでないと言い張る心算なんだろうか。
検査すれば死体、しなかったら生者。
無茶苦茶だ、それは。

こういった問題について、どう考えるのか、どう対処するのかを明確にできないのならば、この改正案がそのまま通ってはならないだろう。
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