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矜持と恥知らず
2005年 11月 04日 |
<いじめ教諭>鼻にチョーク、柱に頭…1カ月 横浜の中学校 by Excite ニュース

教師としてどうこうとか、体罰がどうこうとかいう問題じゃなくて。
なんというか、自分が恥ずかしくありませんか?
情けなくならないんでしょうかね?

昔、親が子を叱る時に、「世間様に恥ずかしい」という言葉がありました。
これは今では、親の価値観や物事の善悪ではなく、世間体だけを気にする言葉として、非難されがちです。
でも、最近になって、実はとても大事なことなんじゃないかと思い始めました。



世間体って何かと考えたら、結局、公共心に根ざすのだと思うのですよ。
自分がいい、悪いと思う、それだけでなくて、その価値観が社会全体に対して有効で通るものなのかどうかという視点。

そして、そうやって叱られながら、世間に対し恥ずかしいことをする自分=自分自身に対しても恥ずかしいという感覚を養っていくのではないかと。

恥ずかしいという感覚というのは、本来、他者に対するものだと思うのです。
わかりやすい例でいえば、排泄行為は自分一人でトイレでする分には別に恥ずかしくありません。
でも、それを誰かの前でやれと言われれば、一般的にはかなり恥ずかしいでしょう。

しかし、生まれたばかりの赤ん坊は、恥ずかしいと思いません。
オムツ替えの時に、しゃーっとやる子なんてよくいます。

つまり、人の目を気にし、他者の評価を気にする教育を得て、恥ずかしいという感覚は育つ訳です。
そして、最初は人の目=親の視線だったものが、友達が加わり、教師が加わり、社会全体が加わり、最終的には取り込んだ価値観を、あたかも、もう一人の自分、理想を目指す自分のように内在させ、その自分に対し恥ずかしいという感覚を持つようになるのでしょう。
これを矜持というのだと私は思っています。

そうなれば、誰が見ていなくとも、その矜持に背く行為は、自らを誇ることができない行為であり、恥ずかしい行為であり、つまり恥知らずだと私は思います。

何事も過剰はよくありません。
世間を気にするのも、いきすぎれば、自己責任、自己決断の出来ない優柔不断となるでしょうし、気にしないのもいきすぎれば、恥知らずです。
ですが、そういった過剰、偏りを是正してくれるのもまた、世間、社会的な常識ではないかと思います。
世間体だけを気にして、主張すべき自分を持てない人というのは、やはり世間を全く考えない人と同じく、他者からの尊敬は得られないものだからです。

そういう恥を知る心、己の内に抱く矜持ということから考えると、この人は、教師であろうとなかろうと、ニュースのような行為をする自分を振り返って、恥ずかしいとは思わなかったのでしょうか?
夜、自分の部屋で一人になった時に、自己嫌悪を感じることはなかったのでしょうか?

だとしたら、こんな情けない話があるでしょうか。
誇らしげに胸を張って、行動する、意見を述べる、自分を振り返る。
その感覚を知らないとしたら、何と悲しい人生かと思います。
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by catsmoon | 2005-11-04 13:40 | 雑感
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