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今、学校で何が起きているのか
2006年 11月 30日 |
Nikkei BPnetの「今、学校で何が起きているのか」という連載。
第一回「なぜ教員は忙しいのか?」
教育現場にかけられた負担がどうなっているのかが、よくわかる秀逸な文章だと思う。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/topics/fujihara/061130_1st/
(日経BPは、良いコラムを見付けることも多いのだが、リンクにいちいち許可がいるのがどうにも。そういう訳で、URLのみ記載)
家庭という社会、地域社会、学校という社会の3つの「社会」の中で子ども達はもまれ、社会化され、大人になることができる。ところが、「家庭」と「地域社会」は、その社会化機能を大幅に低下させることになった。
学校は、子どもを大人にするための社会化機能を担っていた他の2つの主体-「家庭」と「地域社会」-がともに機能不全を起こす中、本来それらが果たすべき役割をも抱え込まざるを得なくなったために、急速に機能低下した。
今日の学校がとかく批判されがちなのは、学校自身の内部要因よりむしろ、外部要因である「家庭」と「地域社会」とが変質していく中で、その波をまともにかぶったという意味合いが強いのだ。




小中学生の保護者の大半も十分に社会化されずに大人になった。「自分の気持ち至上主義」で生きてきた世代だという指摘もある。だから「自分の子だけはよく面倒を見てほしい」という学校に対する期待が限りなく高くなる。教員を始めからなめてかかるクレーマーも増えてきた。
しかし、日本の教育行政は、レッテル付きの「追加教育」をたいした予算もつけず、教員を増やすこともなく現場に下ろし続けてきた。

記事中から3ヵ所、続けて引用したが、できれば記事を読んで頂くのが最良だと思う。

まず、社会全体が、子供を育むという力、機能を低下させていること、そして「最後の砦」として、全ての期待、下手すると責任までが学校に押しつけられ、「“3人”で分担していた子育ての仕事を、“1人”でやらなければならなくなった」ことが言われている。
学校には、更に世相を受けて、あれもこれもと「「環境教育」と「IT教育」と「福祉ボランティア教育」と「国際理解教育」と「こころの教育」と「いのちの教育」と「キャリア教育」」などの課題が次々に押しつけられるようにもなった。
一方で、そのために必要な予算も人員の追加もほとんど行われていない。
更に、子供の数が減ったことで、子供にかける親の期待は高まり、また親自身も権利意識が強くなった(肥大したとも言う)世代であることを受けて、生徒一人一人について、教師がかけられる期待、あるいは押しつけられる要求も増している。

まとめてしまえば、社会のサポートはなくなり、社会からの要求は増え、更に生徒一人当たりの要求される密度も増しているということだ。
そして、これらの事情を考えるどころか、自分の子供「だけは」しっかり見て欲しい、あれもこれも身に付けさせて欲しいと、本来社会や家庭に課されるべき課題さえも、学校に押しつけて憚らない親が増えた。
大抵の親は、まさか「自分の子だけ良ければいい」とまでは言わないだろうが、教師は一人の生徒だけを見ている訳ではないことを忘れた要求は、実質、そう言うのと同義である。

これで教育現場や教師が疲弊しない方がどうかしている。

本当に日本の教育の充実を考えるなら、如何に現場の負担を軽減し、本来学校が持っている機能を十分に発揮させるかを考えるべきであり、社会や家庭が担うべき部分は、元の場所に返す、あるいは学校以外に代替システムを考える必要があるだろう。

ある意味で問題解決を考える方針は単純なのだと思う。
疲れ切った教師や学校が、十分にその能力を発揮できるはずがない。
なら過剰な負担を減らし、その分は他の方法で補うか、あるいは学校に大幅な予算と教員の補充を行って、それらの期待に耐えうるだけの余裕を与えるか、どちらかしかないはずだ。

なのに、現在の社会はと考えれば、これは逆行しているとしか思えない。
負担は増すばかり、それでいて問題が起これば全部学校や教師の責任と言わんばかり。
記事に挙げられた負担だけでも、もう十分に教師を叩きのめすだろうに、更に社会的に、あるいは賠償請求など司法に訴えて、責任まで問われ、背景も考慮せずにバッシングされるとすれば、一体、どんな人が教師になろうなどと思うだろう?
そうなれば、教師になろうと考える優秀な人などいなくなるだろう。
その先にあるのは、更なる教育の、ひいては日本の荒廃ではないのか。

※付記
教育とは関係ないし、しばらく触れない心算でいたが、ここで問われる教育現場の窮状の構造は、非常に医療現場が置かれている窮状と似通った特徴を持っていると感じられる。
あるいは、無責任な癖に要求と文句だけは多いというのは、現代の日本社会共通の問題なのかもしれない。
他人を責める前にまず自分を振り返るというのは、今の日本では最早美徳ではないのだろうか。
ドラマで「同情するなら金をくれ」という台詞があったが、言い得て妙だと思う。
お金(税金にしろ自己負担にしろ)を出すのは嫌、でも(生徒が、患者が、家族が)可哀想じゃないの!って、無責任極まりなくないか?
可哀想だと思うなら、金銭でなくとも、何らかの負担をまずそういう社会の一員として自分が負うことを考えるべきだろう。
文句言うだけならタダというのは情けない。
言う方はタダでも、言われた方にとってみれば、恐ろしいほどの負担なのだ。不特定多数の声というのは、それだけで暴力となりうる。
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