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体感・実感
2006年 12月 13日 |
我が子とのやり取りで、「屁理屈捏ねるな!この馬鹿もんがーっ!」と怒鳴り飛ばして、がつんと一発ということが、この頃増えてきたように思う。

息子が理屈にもなってない、穴だらけ、飛躍だらけの三段論法(にもなってない)を持ち出して、(本人としては)素晴らしく正しい理屈、正当性のあるものというしたり顔で、要するに、ゲームしたいだけ、遊びたいだけ、宿題したくないだけ、手伝いしたくないだけ…という単なる自分の欲求を正当化するのを見る度に、なんとも言えない気分になる。

私も子供の頃、よく息子と同じように屁理屈を捏ねては、「親の言うことを聞け!」と一喝されたものだ。
だが、子供の私は、自分の理屈が正しいと思っていたので、親の強権発動は、言い返せない癖に力で押さえ付けると見えて、実に不満だった。
多分、息子も同じことを考えているのだろう(笑)



だが、今の私ならわかる。
息子の理屈が正しいかどうかなんざ、実は大した意味はないのだ。

要するに、結果として選択される行動の、どちらが社会的に(この場合、家族という最小単位だが)より望ましい行動であり、社会(家族)の一員として期待される行動であるのか、それによって答えは決まっているのだ。
円満な家庭の運営のために、それぞれが役割を持っており、それを果たしてから初めて息子は戯言抜かす権利を得る。
ぶっちゃけ、好き勝手したいなら、自分で稼げるようになってから言え!である。

そして私は忙しい。
しかも息子の理解力はまだまだであり、息子の持ち出したしようもない屁理屈を一々論破するのも時間の無駄。
どうせ息子の結論は「僕はお手伝いしないで、マンガを読みたい」と決まっている上に、論理の飛躍を自覚しないから、何を言ったって、ろくでもない、非現実的で無意味な反論にもなってない反論を無限に捻り出してくるだけなので、付き合っているだけ馬鹿馬鹿しく、強権発動が正しい対応なのだ。
この事実の前に、子供には優しく教え諭すなんていう理想論は、全く無力だ。
それが成立するためには、息子がもう少し、言語疎通の土台となるべき日本語と、理論的な思考と、社会における役割というものを理解実感しないといけない。

さて、ここまでは、私もかつて通った道であり、息子も同じと言える。
息子はまだ小学生であり、この程度であるのも致し方ないこと、いずれは人間になると信じるしかあるまい。

だが、時々、ふと心配になる。
私がこういう屁理屈を説得力ある理論だと大真面目に考えていたのは、およそ20歳くらいまでであるが、息子は、その頃になれば、自分の理屈が屁理屈に過ぎないと理解するようになっているだろうか?

どうも近頃、いい大人になっても、まだこういう小学生の屁理屈を「本気で」喚き立てる輩が増えているように思う。
最近の日本人は、理屈でものを考える余り、それが現実的にはどうかという視点が欠けてはいないだろうか。
まず実感、体感するものとして、小うるさい理屈の前に成立するものを軽視していないだろうか。
権利は言い立てるが、なら自分でやろうとはしない大人が増えていないか。

してもらったことには御礼を言う、働かざる者食うべからず(現代社会では、少なくとも働けるのなら)、こういったことは、理屈云々の前に、生活の上で実感して覚えていくことだ。

息子が「これ嫌い」といって、おかずを残そうとする。
「野菜はもう食べたから、これはいらない。お腹が一杯だ。ママばかり好きなものを決めて狡い、今日は僕が好きなものを決めてもいいはずだ」などなど、屁理屈付きで。

いいか、よく聞け、息子。
「好きなものを食べたかったら、自分で稼いだ金で買い物し、自分で作れ!わかったか?」
そして、なおぐずぐず抜かす息子には、がつんと一発。

お金を出しもせず、労力をはらいもせず、屁理屈だけで自分の要求を満たそうとするのは、恥ずかしく、かつ痛い目を見ることなのだと、私は息子に、体で教える。
大人になっても、「そういう自分は何をしたのか」という視点を抜きに、屁理屈抜かすようじゃ恥ずかしいから、今のうちに体で覚えておけ。
こういうことは理屈もつけられはするが、理屈で覚えることじゃないのだ。

「文句があるなら食うな!」
「えらそうに権利がどうこう抜かすなら、自分でやれ!」
「やってもらったら有り難く受け取って、礼を言え!」
そう言える大人がいなくなってしまったら、理屈ではなく実感として覚えるべきことを覚えないまま大人になる、外見は大人、中身は子供という人が増えると思う。

こういうことを言うと、きっと子供を力で押さえ付けるのはよくないという反論もあるだろうが、世の中、そういうものではないか?
本来、人間も動物であって、自分で餌がとれなければ死に直結したはずだ。
この太古より連綿と続いてきた真理は、社会というセーフティネットが、弱者救済の道を与えてくれてはいるが、それでも全体としては厳然たる事実のはずだ。
自分で動ける者が、餌に文句を付けるなら、自分で望む餌をとるしかないはずだ。
あるいは交換で、せめても、それに見合う対価を払う必要があるはずだ。

息子はまだ子供だから、自分で餌をとれない。
だから、親である私が保護し、養っている。
従って、息子には餌に文句を付ける権利はない。
文句を付けたいなら、等価とは到底言い難いが、某かのお手伝いをして親をその気にさせる必要がある。
間違っても、屁理屈捏ねてはいけない。それは親を怒らせるだけだ。

私は、権利と称する口先三寸の屁理屈で何かを得るという幻想ではなく、力と、適切な力の使い方をこそ、息子には身に付けて欲しいと思う。
権利というのは、自分でちゃんと動ける息子がどでんと座ったまま夕食にケチつけるようなものではないということを、体で覚えて欲しい。
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by catsmoon | 2006-12-13 12:44 | 雑感
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