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問題なしじゃ駄目なの?
2007年 05月 04日 |
子供が、やれ、ここが痛いの、そこが痛いのと言い出すことがあります。
まあ、大抵の場合、たった今まで美味しそうに食べてたやんけ、嫌いなおかずになった途端、お腹痛いのかよ?とか、今まで走り回って遊んでいたやんけ、宿題って言われた途端、気分が悪いのかよ?が、私の感想です。
一応、話は聞いて、痛いという場所を見てみたりはしますが、まあ、じゃあおやつもいらないね?とか、なら今日はマンガ見ないで寝なさいねと言うと治ります。

で、気付いたこと。
問題は、その間のところです。
子供がブツブツと訴えて、私が大したことないと言った時に、息子は、そりゃもう不満な顔をする訳ですよ。



でも、ちょっと冷静に考えてみて下さい。
こりゃ大変だ、酷い病気かもしんない、さあ病院に行こう!と言われるより、大丈夫と言われる方が、普通嬉しいことじゃないですか?
誰だって、病気より、健康な方がいいに決まってます。
なのに、息子はひどく不満な顔をする訳です。

つまり、息子にとっては、結論が先にあるんですね。
病気であろうとなかろうと、僕は今不満があって辛いんだからして、可愛そうにねー、よしよしと言って欲しい訳です。
だから、大したことない、大丈夫と言われると怒る。
お前、そんなに病気になりたいんかい?と(笑)

医療事故が疑われる報道や、それに関するコメントを見ている時にも、同じ感想を持つことがあります。

もし私の家族が急死したとします。
で、もしやミスがあったのではないか、あるいは防げたのではないかと、私が疑ったとして。
けれど、医師の説明や、ブログに書いたりしたところ、医師の方々からコメントを頂けたりして、いや、それはそういう病気であって、仕方ないことなんだと言われたとしたら。
本来、嬉しい…というと変だけど、ほっとすることなんじゃないかと。

家族の急死は悲しいけれど、それはやむを得ないことであって、防げないことだった、誰かのせいでもないという方が、ミスだった、防げたことだったというより、ずっとマシだと思うのです。

けれど、そういう意見はあまり見ません。
むしろ、そんなはずない、絶対に防げたはずだ、ミス隠しだろうという論調の方を多く目にします。

これって、息子の腹痛と同じように、亡くなった人は絶対に死なない人だったはずだ、だからミスに違いない、誰かのせいだ、誰の所為でもない不幸など認めないという結論が先にあるんじゃないか、だから、そうじゃないですよと言われた時に、よかったではなく、憤慨という反応になるんじゃないかなと思うわけです。

勿論、そういう結論が先に出来てしまうには、あまりにも今の医療が進んだ結果、不幸な事例は起こらない、起こるとしても見知らぬ他人にであって、自分や自分の家族に起こるはずがないと思うようになってしまったとか、あるいは、医師の対応が冷静すぎる、それってプロフェッショナルってことだと思いますが、とにかく親身に見えなかったとか、家族を失ったことがあまりに辛いから、誰かを恨まないと耐えられないとか、理由はあるのだと思います。

けれど、そう思いこんでしまって、大丈夫、問題ありませんでしたという、本来、ほっとするはずの結論を受け入れられず、怒りと憎しみを抱き続けるとしたら、これは誰にとっても不幸なことなんじゃないでしょうか?

仮に、その主張が通って、本来仕方なかったことなのに、医師が罰せられたとしたら。
それで家族はすっきりするでしょうか?
勿論、家族は、医師のせいだと思ってるとして、それでも、亡くなった人は帰ってきません。
その痛手は、別の誰かを叩いたからって消えるものではないでしょうし、そういう結果になってしまえば、家族にとっては永遠に、失った人は、手を尽くしてもらったけれど不幸にして亡くなった人ではなく、防げるはずだったのに殺されてしまった人になる訳です。

そして、一方では、その医師は家族の遣り場のない怒りのぶつけ先として、人生を狂わされ、その医師が救えるはずだった人は、救われなくなります。

本当にミスがあったのなら、当然、医師は責任を負うべきです。
必要な処罰も受けるべきです。

ですが、その前提として、ミスがあったのかなかったのか冷静に調べ、あったという結論を医師は誠実に受け止めるべきであるのと同様に、なかったという結論も、家族もマスコミも警察も司法も国民も、虚心坦懐に受け止める覚悟が必要ではないでしょうか?
それがなく、最初に結論ありきだとすれば、それは真実を明らかにする行動ではなく、単なる魔女狩りになってしまわないでしょうか?

※追記
これって、自殺が起こった時の、教師への意見にも言えることだと思います。
教師がきちんと生徒を見ていた、見ていたが、どうにも不運な巡り合わせで防げなかったという方が、悪質な教師だったばっかりに生徒は殺されてしまったとなるより、ずっといいと思うのです。
私が息子を自殺で失ったとして、もし後者だったら、それに気付かず、対処しなかった自分を絶対に責めると思うのです。
でも、前者なら、少なくとも息子は良い先生には巡り会えていたのだと自分を慰め、息子を失った母として、生徒を失った教師と敵対するのではなく、共に慰め合うことが出来ます。
だから、ある程度調べて、教師の対応がまずかったせいではないとわかったら、私はそれを受け入れたいと思います。
息子は不運にも死を選ぶ運命になったが、少なくとも誰かに殺される程不運だったのではないと思えるからです。
誰かを永遠に憎み続けなくてすむからです。
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