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良心が如何にあてにならないか
2007年 06月 08日 |
虐待報道は、これが最初でもないし、恐らく最後でもないのだろうが…。

傷害致死で母親を再逮捕 唐辛子を無理に子どもの口 by エキサイトニュース
ことし1月、岡山県倉敷市の幼稚園児光中翔ちゃん(4)が唐辛子をのみ込み窒息死した事件で、岡山県警は8日、母親の光中美幸容疑者(31)=保護責任者遺棄罪などで公判中=が、無理やり唐辛子をのみ込ませたとして傷害致死容疑で再逮捕した。事件は1月3日午後、光中容疑者が「誤飲して意識も呼吸もない」と119番し、翔ちゃんは病院で死亡した。




人に、こういう死に方はしたくないという死に方は?と問うたら、色々と意見が出ると思うが、そもそも、こんな死に方は浮かびもするまい。
だが、虐待死のニュースを見る度に、自分だったら、こんな死に方は絶対に嫌だと思うような残虐な死に方が、これでもかと出てくる。

親に殺される子供というだけで、どんな虐待であろうと、十分すぎる程に残酷ではあるのだが、それを別にしたとしても。
普通の想像力があれば、唐辛子を喉につめて窒息死するという苦しさは身の毛もよだつ。
虐待やイジメの報道では、人間がどこまで残酷になれるかを競ってでもいるようだ。

こういうニュースについて考えると、人間に備わっているとされる良心などというものが、いかにあてにならないかがよくわかる。
事件の多さを見れば、犯人達が、ことさら良心が麻痺した特別な人達だとは思わない。
多分、彼らとて、被害者以外の人に対しては、そんなことはしないだろう。
あるいは、映画で残酷なシーンなどあれば、眉を顰めさえするかもしれない。

なのに、何故彼らの良心は、こと被害者に対しては動かなかったのか?
いや、むしろ逆に、何故人は他人に対して残酷なことを、普通はしないのか?

それは良心などではなく、反撃や報復、あるいは処罰が予想されるからではないか。
だから、反撃できない幼児や老人、クラスで圧倒的劣勢にあって苛められる子に対しては、ブレーキがかからない。
反撃されない、報復されない、あるいはバレないと思っているから。

更に、そこに躾のためだとか、相手が悪いんだとか、皆やってるからとか、自分に対する言い訳までも用意できたら、最早良心の出る幕はない。
そして、ブレーキがかからなければ、人間というものは、どこまでも残虐になれるのだ。

この事件の母親のようなことを、私はしないと思いたい。
思いたいが、上記のように、ブレーキのかからない状況が生じたらどうだろうか?
育児でイライラしていて、しかも言いつけを守らない子供が悪いのだと言い訳ができるとしたら?
絶対にしないという保証はないとしか言えない。
残念ながら、私は、私の理性や他人への愛情を、そこまで信頼できない。
ここまで酷くはないにしても、どうしても反省しない子供に苛ついて、言葉が過ぎることは、私にもあるからだ。
後でしまった、言い過ぎた、傷つけたと思うが、それも冷静になってからだ。

カーッときても、私が子供を虐待しようとすれば、夫が止めるだろうし、子供も先生や祖父母に話すかもしれないという可能性もあり、それらが私にブレーキをかける。
だが、そのブレーキが弱くなり、誰も止める人がいない、子供は逆らえない、苛立ちは消えるどころか募る一方となったら。
エスカレートする自分の姿が、目に見えるようだ。

報復の可能性がなければ、つまり自分への害となって跳ね返ってくるおそれがなければ、人間はどこまでも残酷になれるのだろう。
残酷なことをする人が例外で、する人は特別に悪い人だという考え方では、多分、虐待される人を救えない。
人間は、本来、残酷な生物であり、状況さえ整えば誰でもし得るのだという認識の上に対策を考えなければ、有効な方法とはならないのではないだろうか。
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by catsmoon | 2007-06-08 15:21 | 雑感
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