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犯罪者にさせない
2007年 08月 23日 |
先日の記事、小児に対する性犯罪者に去勢を考慮するというフランス大統領の発言から、もう少し考えてみた。
前の記事では、感情的に、かつ反射的に賛成と書いたが、少し冷静に考えてみた訳である。
といっても、性犯罪に対する刑罰を考えたのではなく、躾についてである。

近頃の日本の論調の中で、私が不安に思うのは、極論が増えたように感じることだ。
善悪、白黒2種類しかない、あるいは強引にどちらかに分類して対応したがるような、硬直し、「考え続ける」努力を放棄したかの意見が、大手を振ってまかり通っているような気がする。

だが、世の中で単純に白黒分けられることの方が少ないと思う。
ついでに、私のモットーは中道である。
中道とは、本来仏教用語であるが、私は単純に極端にはしらないことと解釈している。



世の中は、どんどん複雑化していて、単純な一つの価値観で全てをはかることなど、とうに不可能になっている。
今の極論の増え方は、あまりに複雑化してしまい、考え続けることが大変になってしまって、受け止めきれない人が増えたということじゃないかと思っている。
考えることに疲れてしまって、ええい!これは×でいいじゃないか!と極論にはしってしまうのではないか。

話が逸れたので、元に戻す。
要するに、絶対的な価値観はなく、常にその状況に応じて、最も適切と思われる方法を模索するべきという、私の考え方から、人を犯罪者にさせない、更に絞り込んで、我が子を犯罪者にさせない為に、私はどう躾をするかということを考えてみた。

体罰はいけない。
体罰は虐待だ。
なんだかもう、今時の日本では当然と語られる価値観で、実際、生徒を叩いた教師がバッシングされたりしているが、私は、これも極論だと思う。

確かに、感情にまかせて暴力を振るえば、それは虐待だ。
だが、痛い目をみないとわからない、懲りないこともある。
少なくとも、私はあった。

子供の頃、手摺のない落ちたら死ぬ場所で遊んでいて、祖母に叩かれた挙げ句、土下座して謝らされた。
今でも、日頃優しい祖母の、その時の恐ろしさと、土下座の屈辱感と、全て覚えている。
しかし、それによって、私は、その場所だけでなく、危険な場所で遊ぶことが如何に悪いことか、それがどれ程周りを心配させるか、大丈夫、大丈夫という安易な姿勢が許されないか、叩き込まれ、以後、忘れることはなかった。

あの時、口先だけで注意されていたら、私が二度と危険な場所で遊ばなかったかどうか、全く自信はない。
少なくとも、そこまで重大なことだとは理解しなかったろう。
(今、振り返ると、遊んでいる私や従姉妹を見付けた瞬間、祖母は心臓が止まるような思いをしたに違いないと思う。改めて、悪いことをした)

私はあまり子供を叩かない。
叩くのは気分もよくないし、第一、適当な痛みを与えつつ、かつ怪我はさせず、程よい屈辱感と反省を与える叩き方って、とても難しいからだ。
試みては、毎度失敗すると言ってもいいくらいだ。

しかしながら、我が息子のように学習能力が欠如しているのじゃないかと疑いたくなるような懲りないタイプの子供は、説教は限界がある。
一日、息子だけを相手に、いくらでも時間をかけられるなら可能かもしれないが、私には無理だ。

従って、私は、祖母や両親が私にしてくれたように、犯罪になること、子供自身が怪我をしかねないことに関しては、有無を言わせず、ぶん殴ることにしている。
叩くのは、一律で虐待だ、人権侵害だとか言われても、私にとっちゃ全く説得力はない。
だって、このままだと、息子が犯罪者になるか、死ぬかするかもしれないのだから。

具体的に言うと、親の金をちょろまかした時、危険な遊びをした時は、ぶん殴った。
説教でも、もしかしたら息子もいつか改心するかもしれないが、こと、このような問題に関しては、確実性を私は優先する。
改心するかもしれないが、しないかもしれないのだ。
息子が犯罪を犯してから、大怪我をしてから後悔しても遅い。
だから、少しでも確実に悪いことだと理解させるよう、身体でも痛みをもって覚えてもらう。
この2点に関しては、息子が幾つになろうと必要ならぶん殴る心算でいる。

犯罪の抑止、あるいは再犯の防止という点で、刑罰を考える時、こういう考え方も必要ではないかと思う。
それこそ小児に対する性犯罪のように、もし改心しなかったら、その結果が重大である場合、人間の善性を信じ、前提にするのは危険だと思う。

大事なことは、犯罪者にさせないことであり、被害者を生まないことであって、それが最優先されるべきだと私は考える。
犯罪者の人権というのは、その優先の次に考えるべきことだと私は思うのだ。
第一、犯罪者本人にとっても、何度も犯罪を繰り返して、どんな幸せな人生があるというのか。
本当に犯罪者の人権、幸福な人生への道を考えるなら、やはり二度と犯罪を犯させないことが最優先されるべきではないか。

厳罰化=人権侵害というような、安直かつ硬直した考え方は止め、本当に大事なことは何か、そのためには何をすべきかを、極端にはしらず、思考を放棄せず、考え続けることが必要ではないだろうか。
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by catsmoon | 2007-08-23 12:52 | 雑感
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