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情報を制御する
2008年 04月 14日 |
臭いものにフタをしても、何一つ解決しない by ITmedia +D LifeStyle
この記事によれば、性懲りもなく、またもや国家は情報を検閲、規制する法案を捻り出したようである。
多くのネット住民およびジャーナリストの努力により、児童ポルノ法改正案の根拠がグダグダなのが明らかになったわけだが、今度はまた新しく物騒な法案が自民、民主両党から提出されようとしている。自民党案では「青少年の健全な育成のためのインターネット利用による青少年有害情報の閲覧の防止等に関する法律案」となっているが、長いのでここでは便宜的に「青少年ネット規制法案」と呼ぶことにする。
 この法案は、18歳未満の青少年に有害情報を閲覧させないようにすることで、青少年の健全な育成に寄与することを目的としている。ここで想定されている有害情報とは、平たく言えば「わいせつ」「人死に」「犯罪」「売春」「薬物」「いじめ」「家出」などである。これら有害情報の基準は、内閣府に新たに委員会を設置して、そこが判断することになっている。
上記のような法案を見ていると、つい個々の法案の特徴や危険、利点に目がいく。
だが、ちょっと離れた視点で見てみると、また違う見方ができることに気付く。



先日も反対意見を述べた、人権擁護法案もそうだし、文中の児童ポルノ法案もそうだし、そもそも古来、国家が国民の間を流通する情報を制御しようとした事例には事欠かない。
現代では、その対象がネットになって騒がれているが、本質は同じである。

事の本質は、ただ一言「自分以外の他人が知ることのできる情報を制御したい」である。
この場合の自分には、個人から国家まで、全ての社会的存在がなりうる。
そして、この願望を実現しようと思った場合、最も強力に推し進めることができる権力を持つのが国家なのであり、その国家が今一番躍起になって規制したがっているのがネットだということなのである。

【1】何故情報を制御したいか

なぜ人は情報を制御したがるのか。
理由は簡単である。
情報とは武器だからだ。
あるいは金にもなる。
情報一つの使い方で、人は勝者にも敗者にもなれる。

知っている人は、知らない人より圧倒的に有利な立場に立てる。
あるいは真実を知っている人は、偽の情報を知っている人より有利な立場に立てる。
だからこそ諜報活動、スパイなどというものが存在するのである。

逆に言えば、自分の情報をライバルに知られることは、時に致命傷となることを意味する。
だから、人は他人のことは知りたいが、自分は何一つ教えたくないのである。
教えた方が自分にとって都合がいいと思われた場合だけ、例外的に教えたくなり、このケースでは、逆に相手が知りたがっていなくても教えたがる。

どちらであっても、人は他者が有する情報を制御したいものなのである。
自分に都合が悪い情報、そしてまだ都合が良くなるか悪くなるか不確定な情報は、何一つ知られたくない。
それが自分に関する情報でなくても、である。
とりあえず、相手が知っている情報の総量が、自分より少なければ少ない程いい。

同時に、自分にとって都合のよい情報だけは、虚実取り混ぜて、全て相手に飲み込ませたい。
相手が信じたり、影響されたりするよう、できるだけ巧妙に知らしめたい。

情報が武器であるならば、現時点において、その情報を規制する必然性がよくわからないとしても、とりあえず自分は入手しておき、他者には与えないに越したことはない。
最も好ましい他人とは、自分が知らせたいことだけを知っていて、その他のことは何一つ知らない他人だ。

勿論、例外は沢山あるが、人が情報を制御したいと思う時、その理由はこのようなものである。
要するに他人に負けないため、他人を出し抜いて儲けるため、自分の安全を確保するためである。
突き詰めれば、元は非常に根源的な欲求なので、この欲望はなくならないだろう。

【2】情報を制御したいのは国家だけか

さて、上記で述べたような情報が武器となるケースは戦争に限った話ではなくて、庶民の日常生活から企業活動、国家戦略に至るまで全てにおいてである。

国家は隣国の国防システムの情報が欲しいし、企業はライバル社の新製品情報が欲しい。
でも、そんなの国とか大企業の話で自分には関係ないと思うだろうか?
いいや、違う。

AさんとBさんは仲が良くて、何でもお互いに教え合っている関係である。
このような関係は、政界から家庭まで人間が複数いるところなら、ありとあらゆる所で発生している。
誰でも、思い当たることがあるだろう。

では、この情報を知っているCさんと、知らないDさんで比べてみよう。
CさんもDさんも、同じくBさんが嫌いである。
さて、そこで。
Cさんは、AさんにはBさんの悪口は言わない。AさんとBさんの関係を知っているからだ。
しかし、Dさんは知らなかったから、AさんにBさんに関する愚痴を零した。
結果はどうなるか、火を見るよりも明らかだ。

元となった情報「AさんとBさんは仲が良くて、何でもお互いに教え合っている関係である。」は、通常は悪いことではないし、人に知られて困るようなものでもない。
それでも、AさんBさんの立場から見てみると、Dさんに情報が流れていなかったお陰で、Dさんの本音という情報を手に入れ、人の陰口を言うなんて、Dさん酷い!などと、後の状況を有利に展開できるネタを掴めた。
知っているCさんは、本音を隠せたし、ついでに表面上、AさんBさんに同調してみせることで、自分の立場を強化したり、知らないDさんより有利な立場に立つことができた。

このようなご近所でも会社でもありそうな状況を思い浮かべてみれば、人は誰でも、情報を武器として有効利用していることに気付くだろう。
だから「人聞きの悪い」ことはご近所には隠すのだし、逆にご近所のゴシップなら「人聞きの悪い」こと程喜んで聞くのである。

このように考えると、国家だから、企業だから、あるいは政治家だから、官僚だから、金持ちだから、エリートだから、情報を規制したがるのではなく、むしろ全ての人が、それぞれの立場で、他人の得る情報を制御しよう、自分の得る情報は制御されないようにしようと、互いに競い合っているのである。

従って、例えば、別の政党が政権をとったら、別の政治家だったら、情報を規制する法案など出さないかと言えば、答えはNOで、とにかく内容の違いはあっても、誰もが、何らかの情報を制御する法案を求めるのである。

【3】これまでの情報流通手段と異なるネットの特性

では今、何故彼らの目がネットに向きがちなのか。
それはネットの特性からであるし、ネットしか残ってないからでもある。

昔、人間の有する情報伝達手段はあまりにも限られていた。
古代なら、ほとんど口伝えのみである。

次に文字が出来て、口伝えよりは遠くに、多くの人に、より正確に、時間がたっても繰り返し、伝えることができるようになった。
しかし、まだ本は高価で、文字が読める人も限られており、一部富裕層にのみ許された方法だったので、ここで最初の情報格差が生じた。

一方で、都市部と地方とでは、人の密集度が違うため、当然、都市部の方が情報がより集まりやすく、早く伝わりやすかったに違いなく、ここでもまた情報格差は生じたろう。

そして印刷技術の発明である。
これによって、金持ちの贅沢品だった本が普及品となり、情報伝達の枠を一気に広げた。
それまでは一部の噂話で、すぐに消え去った情報が文書として残り、しかも下々まで手に入るようになったのである。
当時の支配層は印刷技術の普及の意味に気付いた時、青ざめたに違いない。
禁書、焚書、はたまた検閲など、様々な方法で、支配層は情報を制御しようとし、他方、時代と共に制御しきれる情報量ではなくなってくると、ある程度の情報が漏れるのは諦め、代わりに利用するようにもなったろう。
これは翻せば、情報を手に入れたい庶民の勝利した部分とも言える。

その後、電話、録音、映像…人は物凄い勢いで情報伝達手段を開発した。
それによって、伝達できる情報は、質、量共に跳ね上がり、また速度も、範囲も劇的に広がった。
情報を制御するには、堰き止めるのは最早不可能となり、内容を選んで認める、都合のよいところだけを許可するという検閲が主流となった。
こうして規制できる範囲は規制しつくし、野放しになっているメディアはなくなった。

それとて、そうやって庶民の手に入るようになった情報そのものが、庶民に、自分達の得られる情報が操作されている事実に気付かせ、言論統制反対の声が大きくなり、無視できなくなっていったため、完全な統制下に置くことはできていないが、この程度で諦めざるを得なくなっただけと言うべきかもしれない。

そして、いよいよネットである。
ネットの伝達できる情報の速度、量、範囲、いずれも大きくなり、更に大きくもなりつつあるが、既存の手法との最大の違いは、誰でも広範囲に情報を発信共有できるようになったことである。
それまでの手法は、「誰でも」「広範囲」どちらかの要素が欠けていたのだ。

かくて、情報を制御したい人々の目は、まだ野放しに近く、しかも破壊的な威力を持ちかねないネットに注がれる。
一方で、情報を集めるツールとしてあまりに便利で、しかもそれが独占ではなく、皆に共有されるからこその特性だったため、二律背反の中で悩むこととなった。

国家だろうが、個人だろうが、皆、自分は情報が欲しい。
情報を手に入れたいなら、ネットは、実に便利だ。
更に、自分にとって都合のよい情報を不特定多数相手に格安で広めることができる、今までにない手段でもある。
到底手放せるものではないし、これらの機能が制限されるなどとんでもない。

だが、これは他人にとっても同じであり、自分にとって都合の悪い情報が、あっという間に広範囲に広がる手段でもある。
これは困る。
他人には教えたくないことが腐る程あるのに。

さあ、どうする?
個人なら答えは二択だ。
ネットは危ないから、規制しろー!と叫ぶか、言論弾圧は止めろー!と叫ぶかだ。
そして、言いたいことをブログや掲示板にでも書いたり、自分の意見に近い方の政治家に投票したり、影響力はネット以上の新聞とか雑誌に投書したりするのが精々である。
自分が選んだ情報だけを流通させろという要求は、残念ながら個人には難しいし、人々の要求が全て対立する以上(皆、自分だけなのだから)万人に等しく望ましい結果を得ることは不可能だ。

だが、国家は強制力を持っているので、国に都合の悪い情報は流すな、流すと罰するぞ、けど国が欲しい情報は隠さず提供するようにという法律を作ることができる。
流石に、こうストレートに言うと、庶民が怒るので、青少年保護というお題目を利用するのが、昨今の流行りのようだ。

情報を規制したい他人、国家と、規制されたくない自分との戦いはエンドレスだ。
これまで述べたように、要するに皆、他人には教えない、自分は知りたいので、自分の情報入手を邪魔しようとする他人は常にいる。
一つの法案を潰しても、別のお題目を纏ってまた提出されるだけである。
だから、情報流通の自由度をある程度維持したければ、常に国家やある種の団体の行動に注意し、声を上げ続ける必要がある。
○○法案は廃案になったから大丈夫などと安心してはいけないのである。
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by catsmoon | 2008-04-14 15:35 | 雑感
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